皆さんお疲れ様です、Maiです。
今日は前回の自己紹介の続きとして、私の人生を変えたターニングポイントについて書きたいと思います。きっとそれがなければ、今のように世界中の人と共に働く職場を選ぶことも、ましてや国際恋愛をすることもなかったと思います。
人生を変えてくれた経験。それはカナダでの語学留学です。
結論から言うと、3ヶ月半の滞在の中で習得できたのは英語力ではありませんでした。笑
しかし英語以上に自分自身の価値観を180度変えるような素晴らしい経験を多く手にすることができたのです。
カナダ留学決意までの道のり
時は遡りますが、当時19歳の私は完全に自分を見失っていました。
高校3年生まで空手・野球・バレーボールとスポーツに打ち込む青春時代を過ごしましたが、人間関係が上手くいかず、自分はどこか人と違い、うまく周囲に溶け込むことができないのだと絶望していました。大学進学と同時に打ち込んでいたスポーツも辞め、大量生産型大学生になることを決めました。
典型的な大学生になることで周りと交わり、自分への劣等感を拭えると考えたのです。
しかし結果は真反対でした。学びたいわけでもない必修授業を受けながら、放課後は深夜までバイトに明け暮れ、意味のない飲み会に参加しては、「何が楽しいんだ?」と思いながら、愛想笑いを浮かべていました。そんな生活が1年過ぎ、友達作りのために入ったバレーボールサークルの練習に体育館へ向かうと、誰も現れませんでした。
部活動であればあり得ない光景ですが、珍しくはありませんでした。
「まぁたかがサークルだしな」ここでも気に留めないフリをして、帰宅することにしました。
その道中、バスに揺られながらなんとも言えない感情の波に襲われたのです。
それは「自分は今なんのために生きているのか?」という問いでした。
大学に来たが、何を学んでいるわけでもない、自分を殺して人と交わりながらも自己嫌悪が増す一方、何か一つでも本気で取り組んでいるものがあるのか?
答えは当然Noでした。自分自身への恥ずかしさと、情けなさと、これからどうしていけば現状を変えられるのかわからず途方に暮れました。
バイトに行ってからもその考えが消えず、今まで何も思わなった皿洗いをしながら、「親が高いお金を出して買ってくれた大学4年間という貴重な時間を、皿洗いという行為を通して時給950円で売っている」という事実に気付きました。
それと同時にもうすでに1年という時間を無駄にしてしまった後悔と、何かやらねば!という危機感を覚えました。
結果的にこれがカナダ留学挑戦へのきっかけとなりました。
留学前は全くと言っていいほど英語が話せなかった私ですが、実は習い事としての英語は小さな頃から習っていました。そのため小さな頃から外国人に触れ、英語に触れ、海外への漠然とした憧れを感じており、高校も大学の学部も国際色のある環境を選んでいました。
とは言いながらも、ただその環境にいるだけでは不十分であることを知っていましたし、必ず留学をすると大学進学時に宣言しながらも行動を起こしていない自分にもずっと後ろめたさを感じていました。
前置きが長くなりましたが、このような流れを経て、「よし、留学しよう!」と決めたのです。
なぜカナダを選んだか?ですが、単純に英語力が極めて低く選択肢が数えるほどしかなかったのです笑
当時受験したTOEFL ITPのスコアは443。留学の花形である、1年間の交換留学の資格条件からはほど遠く、学校が海外大学と提携し提供している一学期間の語学留学への参加を決めました。確かニュージーランド or カナダの2校しか選択肢がなく、都市部での生活が嫌いなので、キャンパスがとんでもない田舎にあるというカナダの学校を選びました。
人生を変えたカナダでの出来事
さて、ここからやっと本題のカナダでの体験ですが、多くありすぎて挙げきれないので今回はいくつかピックアップしたいと思います。
① 同じ人間が一人もいない世界
繰り返しになりますが、当時の私は周りと同じ人間になろうと必死でした。人と違うことを恐れていたのです。周りと分かり合えないことは異常だとさえ感じていました。だから自分の殻に閉じこもり、面白くないことに作り笑顔で応えていたのです。
ところがどっこい、カナダに来て驚いたのが、誰一人として同じ人はいませんでした。ファッションやメイクなどの外見もそうですし、皆、口を開けば全てが自分軸での発言でした。自己主張がはっきりしている一方で最初は、他人に興味がないようにさえ見えました。しかし、すれ違えば誰もが「そのセーターかわいいね、どこで買ったの?」「今日のあなためちゃくちゃいけてんね!」と褒め合うのです。私は後に彼らのこの褒め合う文化は確固たる自身の確立と自身に対する自信と愛を持ってこそ生まれているものだと気付きます。
カナダは多様性豊かであると有名な国の一つですが、性的マイノリティのカップルが町の中で当たり前に手を繋いで歩き、すれ違う人々に「素敵だね、良い一日を」と声を掛けられていました。そんなカナダの当たり前にとにかく衝撃を受けました。私はこの国の当たり前を目の当たりにして、「私は私のためにどんな人間でありたいのか?」「どうあれば幸せなのか?」を考えるようになりました。
② 全く濃さの異なる19年間の人生
私が参加した留学プログラムには会話パートナーというボランティアとして有志の学生が現地の大学から参加してくれていました。英語学習のサポートはもちろん、大学や町の案内、生活サポートに加えてプライベートでも交流してくれる最高の方々でした。
私のパートナーになったのは教育学部に所属する同い年の女の子でした。学校内外で同じ時間を過ごすことが多かったのですが、ある日彼女になぜ家族の元を離れ、この田舎にある大学に決めたの?と何気なく質問しました。
その質問に彼女は迷うことなく、「私教師になるの。だからこの大学の教育学部のプログラムが最適だった。他にも、、(圧倒されて覚えていない笑)」とはっきり答えました。堂々と自身の未来とそこに向けた選択を話す彼女に私は圧倒されました。私は自分の未来どころか、なぜ私が今ここにいるのかさえ、不明確だからです。そう思ってやっとの思いでカナダに渡る決意をした。でも留学をして未来が見つかるわけではないことも気付きました。そして帰国すれば成人式を控えている自分にまた焦りを感じました。
この日を境にいつかくる未来の選択を自分事として考えるようになりました。
自分は一度きりの人生の中で何に情熱をかけて生きていきたいのか?自問自答をするようになったのです。
③ 素晴らしい人々との出会い
会話パートナーとして出会った彼女もそうですが、カナダ留学を通して出会った人は皆、私に人生の考え方を与えてくれた人達でした。
今振り返って彼ら、彼女らに共通することは「自分の人生を主人公として生きている」ということだと思います。それまでの自分は自分ではない他人になりたくて、自我を殺すことに必死でした。それが自分を更に苦しめ、何にも本気になれない自分が嫌いでした。カナダに来て、ありのままの自分でいることを楽しんでいる人々を見て、他人になることは不可能であり、誰も幸せにしないことを痛感したのです。
誰かになることで自身の人生を言い訳で溢れさせていました。それ以上傷つきたくなかったから。でも結果的にはそれが、目的も目標もない、ただ日々時間が過ぎていくだけの日常を作っていました。
カナダで出会った全ての人の人生を追えているわけではありませんが、きっと今も変わらず自分らしく前進していると信じています。私も留学後、波乱のコロナを経てファーストキャリアを選択し、彼にも出会いました。
いつかまた、みんなに再会して人生のキャッチアップができると嬉しいなと思います。
最後に
今回は人生哲学のようになってしまいましたが、社会に出てからも「人間て思っている以上に他人に興味ないよな」と感じることが増えました。
思えば国際恋愛も、マジョリティとは言えないと思います。特に日本は歴史的にも閉鎖的な文化を持っています。彼を家族や友達に紹介するのは人生の中でもトップレベルに緊張しました笑
だけど私は彼の魅力を知っていて、彼と一緒にいれることに感謝している。
その事実だけでもう十分というか、たとえ誰かに理解してもらえなくても自分の人生なのでそれはそれ、これはこれかななんて思っています。
自分の幸せへの責任は自分の肩にのみ乗っているものなので、自分軸で生きることを大切にしたいなと思っています。
長々お付き合いいただきありがとうございました。
コメント